全日本大学フットサル大会の思い出①

みなさんこんばんは。

自分が出場する訳じゃないのに試合前になると寝られなくなる藤浪です。リーグ戦前はもれなく前日寝られなくなりますが、今回は金曜日に始まる全日本大学フットサル大会の全国大会を前に、もう始まってしまいました。このペースだと木曜の晩は一睡もできないかもしれません。まぁ気持ちは選手と一緒に戦っているということですね。

ところで私、全国大会にスタッフとして参加するのは今回が7度目です。初出場となった2007年大会は最近名古屋オーシャンズからスペイン1部リーグのマグナ・グルペアに移籍した吉川智貴選手が唯一出場した大会です。彼は流通経済大学サッカー部との決勝戦で見事な得点を挙げましたが、イエローカード2枚で退場になり、残念ながら試合も2-3で敗れました。吉川選手の名誉のために付け加えると、確か2枚目のイエローカードは、味方のミスをカバーするため体を張って相手を止めに行った際にくらったものだと記憶しています。

この時代は大会優勝チームに全日本フットサル選手権本大会本大会への出場権が与えられていました。優勝した流通経済大学は確か名古屋オーシャンズと同グループだったはずです。もし同志社が優勝していたら名古屋戦にも吉川選手は出ていたでしょう。少し運命的なものを感じます。

そして、2007年の全日本大学フットサル大会は現監督のヒロも出場しています。彼は技術力、判断力に優れた選手で、吉川選手とともに同志社の主力の1人でした。青山学院大学戦のパワープレー返しは今でも鮮明に記憶しています。

一番悲劇的な敗退をしたのが2011年大会です。同志社はグループリーグ最終戦で東北大学と対戦。勝てば決勝トーナメント進出が決まるという試合でした。

2-1のリードで迎えた後半、残り2分を切ったところで相手選手が退場となりました。退場者が出た場合、2分間選手を追加できないため、誰もが同志社の勝利を確信したでしょう。僕もその1人でした。5人対5人でプレーするフットサルで1人欠けるとほとんど防戦一方になるからです。

しかし、東北大はフィールドプレイヤーが3人しかいないにもかかわらず猛烈な勢いでプレスをかけてきます。焦る必要のない同志社でしたが、あまりの気迫にパスミスを連発。時間を使い試合終了に持ち込むか、あわよくば3点目を取りに行くというプランは全く機能せず、逆に自陣ゴール前で相手を倒してしまいます。この直接FKを決められ引き分けたためグループリーグ敗退となりました。

思えば数的不利の状況でのディフェンスの練習はしていましたが、数的優位な状況での戦い方については全くやっていませんでした。監督として責任を感じた忘れられない出来事です。

この他にもまだまだ本大会の思い出話は尽きませんが、今日はこの辺にしときましょう。ちなみに今回のタイトルに①とついていますが、続編があるかはわかりません。ではまた。












は〜寝れねぇ。



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